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トリップ管理人の部屋

いつのまにか無くなってしまうものが世の中にはたくさんあります。ご近所の風景から文化遺産、廃墟、自己の存在意義まで、管理人が魂込めて贈るメッセージです。

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宇津の谷峠・蔦の細道

宇都ノ谷峠は豊臣秀吉が小田原攻めの際、整備した道である。
宇津ノ谷の集落
宇津の谷の集落で地元のおじいさんから今の蔦の細道は場所が違うと聞いた。どこそこのだれだれの墓が昔蔦の細道にあって土砂崩れで今あっちの方に置いたが、元あった場所は覚えているが、今の蔦の細道の場所では無い。市役所に行っても取り上げてもらえなかった。私がどの辺りにあったのですかと聞くと戦時中の話になり、昭和19年宇都ノ谷峠で米軍の艦隊を狙っていたのだが、情報ではあちらは100万の大軍で、こちらは6万でとてもかなわない。それでも撃とうとすると、こちらの場所が米軍にばれてしまい、一斉攻撃を受けて村は全滅するから、1発たりとも打つのはまかりなんと上官に言われ、敵を目の前に1発も撃てずとても悔しい思いをした。そこで峠を下りると明治時代のトンネルの中に山ほどの弾薬が積まれていた。とても悔しかった。とのこと。で、私はそれは悔しいでしょうね。ところで蔦の細道にあったお墓は誰の墓でしたか?と聞くと、蔦の細道でのたれ死んだ人らしい。続けて聞くと終戦の話になり、そのころ銚子にいて、銚子では茶畑が平野で舟で運んでいて、こちらでは山の中で段々畑でリヤカーで運んでいたので(おじいさんは茶畑の農家の長男)うらやましかったが、茶摘みはなんとハサミで切っていてとても能率が悪い。そこで手積みの方法を教えてあげたら村長にえらく感謝されたらしい。そんなこんなで終戦を迎えたそうだ。私は、ああ、それは地元にいいことをしましたね。ところで蔦の細道がと聞くと、トンネルに弾薬がいっぱいあったのに1発も打てなかったという話になり、私が、ああ、それは悔しいでしょうねと言って、そのままその場を後にしたのだった。昔、蔦の細道にあった墓
蔦の細道は平安時代、在原業平の伊勢物語で有名になった。
昔の農村の風景がそのまま残っている
明治のトンネル
大正のトンネル

| 古道を歩く | 11:23 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

No title

蔦の細道が現在の位置と違うのではという疑義はいくつか目にしていますが、地元の古老からもそういう声があるのですね。岡部側については歴史的裏づけがあるので堅いと思いますが問題は峠から静岡側へ下る道です。現在の道では官道とするには牛馬の通行が困難すぎ適さない気がします。むしろ尾根沿いに宇津の谷に下るほうが広い道を作れるのではと思います。また蔦の細道は宇津の谷超えの異名でもあり一つである必要性はありません。現在の静岡沿いの道は江戸時代になってできた新道だと考えています。牛馬が超える道はすでにあるので
人が歩ければいいのですから。

| たいがあ | 2012/01/11 15:36 | URL | ≫ EDIT

No title

詳しいお話ありがとうございました。温かくなったら宇津ノ谷越えを行けるところまで行ってみようと思います。

| neo-trip | 2012/01/14 17:13 | URL | ≫ EDIT















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