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トリップ管理人の部屋

いつのまにか無くなってしまうものが世の中にはたくさんあります。ご近所の風景から文化遺産、廃墟、自己の存在意義まで、管理人が魂込めて贈るメッセージです。

2009年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年03月

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丸型ポストと郵政民営化

丸型ポストなどというと懐かしいなんて思うかも知れないが、わが静岡県下ではまだまだ現役である。あの愛嬌の有る佇まいで帽子をかぶって道路わきにチョコナンと立っているのである。
私はあの四角い金属製のポストは苦手だ。なぜなら手紙を入れる度に静電気でビリッとくるのだ。しかもどうもそっけない。本当にちゃんと手紙を届けてくれるか心配になる。その点例の丸型はどうだ。いかにも誠実そうだ。一度に沢山はこなせそうもないが、体全体で大事そうに手紙を飲み込んでくれる。実際、明治初期の郵政事業といったら国家挙げてのものだし、他に通信手段がないのだから手紙も相当大事だった。その気合いの現れがあのデザインである。
話は変わるが、建物だってそうだ。明治の学校や役場などやっぱり相当気合いが入っている。力が有るのだ。するとなぜ現代では力がないのか?というより力などいらないのだ。個々の役目を合理的に間違いなくこなすことさえ出来ればあまり形は重要ではないのだろう。
ところでなぜ、わが県下には丸型ポストが多いかといえばただ、新しくする程の需要もないということらしい。各市町村によってはこのポストを残してほしいとの陳情もあったようだ。最近ある町の丸型ポストが撤去されて新しいポストに替わっていた。なぜ替えたのだろう。町にある昔ながらのものが無くなっていくたび町への愛着も懐かしのふるさとも無くなっていくような気がする。
現代は手紙を書く機会があまりない。荷物もコンビニで取り扱ってくれる。自然、郵便事業に対する人々の関心も薄れているのだろう。明治政府は、全ての国民の通信手段を担って、どんな山奥でも離島でも郵便局を作った。学校も作った。鉄道も作った。今の世の中何でもある。だから有り難みはない。私の考えは変かもしれないが、国営ならそれは私達の物だけれど民間ならそれはどこかの企業の物だ。どこかの企業が儲けてそれはだれかの懐に入るのだ。私達の物で私達に必要なものなら、赤字が出たら私達が補填するのも仕方がないのではないだろうか。現在郵政の見直しが論議されているが、見直しに反対する人は、郵便局に頼らずに生きていける人だろう。鯨を食べない国が捕鯨を反対するようなものである。私の実家では父が倒れ母一人で看病している。前は保険も貯金も全て郵便局で、局員の人が定期的に来てくれたし、簡保に行くのも楽しみにしていた。今では保険の勧誘にしかこない。そのうち国民のためという公共性の意識もなくなるだろう。

明治-浜松市連尺通り



明治-鷲津郵便局



明治-磐田市見付



菊川駅近くで
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