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トリップ管理人の部屋

いつのまにか無くなってしまうものが世の中にはたくさんあります。ご近所の風景から文化遺産、廃墟、自己の存在意義まで、管理人が魂込めて贈るメッセージです。

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佐久間ー豊根、ダムに沈んだ村その2

静岡県浜松市方面から佐久間-豊根村へ向かう。
豊根村には温泉があるので楽しみだ。
とんでもない天気である。



トンネルは少し怪しい雰囲気である。
このあたりのトンネルは地元では有名な心霊スポットらしい。


発電所に子供が!!


爆発だ!!
次回につづく

| 佐久間ー豊根、ダムに沈んだ村 | 23:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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佐久間ー豊根、ダムに沈んだ村その1

佐久間ダムの建設の概要
日本の経済が上向きに転じていた昭和28年日本は電力不足を補うために最大出力三十五万キロの日本最大のダム、佐久間ダムの建設に着手した。天竜川佐久間の谷を利用しての工事は高さ百五十メートル、長さ二百九十メートルの大堰堤を築き、その上流平岡発電所まで三十三キロにわたる人造湖を作り、落差百三十八メートルを利して最大出力三十五万キロの大発電所である。ダム建設工事の特色は戦後はじめて近代土木技術の世界的水準の機会をアメリカから導入したことである。労働は機械化に伴い人間の力は機械にははるかに及ばず、外国人の指導の元で昼夜とわず行われた工事は当初年掛かると言われたダム工事は年ヶ月で完成した。工事もピーク時には10000人を超えたが完成間じかになると必要とされる人のみが残り渡労務者は次の黒部ダムへと移動して行った。余談だが、私の父がここで働いていて、黒部にも行くはずだったが、母が黒部に行くなら別れると言ったので、父は黒部には行かなかった。当時の黒部は人界未踏の地であった(母曰く)。黒部で働いて事故でもあって死んだら記念碑に名前が残ったのにとか考えてしまうが、そうしたら私は生まれないし、痛し痒しである。因みに労務者の賃金は日交代時間労働で700円前後、重労働ということもあって月日働き10000円以上という高給だった。
ダム建設に伴い全国から続々と集まる労務者は、ピーク時には村民5000人に対して倍も膨れ上がり、飯田線の中部天竜駅と佐久間駅は列車が着くたびに雑踏をきわめ、駅前には旅館、飲食店、パチンコが軒を並べ、周辺には事務所や宿舎が立ちならび、百貨店、銀行、労働基準所が新設されていった。また、路地には赤線区域もあったようである。
余談だが、浜松で老舗のコーエイ部品という会社があるが、当時二俣に会社があってたいそう儲けたそうである。
この様に繁盛した年月は3年半と短くやがて昭和31年にダムが完成すると佐久間ダム見学がはじまり、旅行業者が全国から人を集めて国鉄飯田線中部天竜駅に降り立ったのである。駅からはバス台でピストン輸送し、これによって駅前には土産屋ができ旅行者の泊まる宿も新しくでき佐久間は観光ブームに沸き立ったのである。先日CS放送で水前寺清子の「ありがとう」を見ていたら、病院の慰安旅行で佐久間ダムに行くというエピソードがあった。それだけ話題になったということだろう。
現在は当時の華やかな 影は無く、川を隔てた西側の町並みには今も宿屋を営んでいるところもあり当時と風景は少しも変わっていない。




次回は現在の様子をお伝えします。

| 佐久間ー豊根、ダムに沈んだ村 | 23:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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