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トリップ管理人の部屋

いつのまにか無くなってしまうものが世の中にはたくさんあります。ご近所の風景から文化遺産、廃墟、自己の存在意義まで、管理人が魂込めて贈るメッセージです。

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神様がいる山、石巻山を登る

年も押しせまり神様に会いたくなり石巻山を登る。石巻山は古代の祭祀場であり伊勢神宮から富士山へ望む古代太陽の道の1つであるという仮説を立てている人もいる。麓から山頂まではそれぼど距離はない。しかし山頂付近は岩を上らなくてはならないのでちょっときつい。年寄りや子供には厳しいかも知れない。



だいだらぼっちの足跡。
頂上付近は登るのが厳しい。
磐座があった。
だいだらぼっちのおしっこと子供が言っていた。
先程子供や年寄りには厳しいと言ったが実は山頂に子供と年寄りがいた。

山の所々に神様が居る。

私は今大変である。先日のクリスマスにご挨拶をかねて借金をしている奥さんの姉さんの家に行った。姉さんの旦那さんは山歩きが趣味なので、私が京丸山に登ったというと、感心してくれて話が盛り上がった。血圧の話になり、やはり運動しなければならないということで、バーベルをもらった。すると突然奥さんが私の借金の話を持ち出した。姉さんの旦那さんは、これ以上居ると気まずくなることを察してか、遅くなったのでそろそろ帰った方がいいよと言ってくれた。男にしか解らないあうんの呼吸である。帰りの途中でスーパーにより、年越しそば用のつゆを買った。いちおう姉さんへのご挨拶も済みホットしていた私はつい「このつゆをクリスマスプレゼントとして買ってあげよう。」と、軽口を言ってしまった。するとクリスチャンの奥さんは「こんな物をプレゼントとはどういうつもりだ」とものすごく機嫌が悪くなった。現在に至る…そして石巻山に登ったのだ。



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| 山中探偵団 | 17:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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光明山遺跡…光明寺・光明城

光明山は旧天竜市(現在は浜松市の植民地となり天竜区と名乗る)の町中近くにある。戦国時代、三方原の合戦の時、武田軍が通った道でもある。元々武田軍は家康など眼中になく、ほっといてくれればそのまま通り過ぎたのだが、若い家康が、自分の庭先を通したくないという理由で戦ったのである。結果、この周辺から浜松、引佐まで、家康が逃げ回った逸話が残っている。光明山の山頂には、明治時代に火災で焼失した光明寺と長篠の合戦の後、武田の城を家康が奪った光明城の跡がある。例の如く愛車のMVXで山を登る。道が細くて危ないので、低速で山を登るのだが、2サイクルはトルクが無くてつらい。
ここはとても地味な場所なので、誰もいないかと思ったら、駐車場に3台の車があった。光明寺跡の方へ歩いていくと一組のアベック(古い言い方ですまん)がこちらにやってきた。なんだかばつが悪いので道を探すふりをしてやりすごした。

光明寺跡には、山頂にある観光のお約束の望遠鏡があった。しかも無料。覗いてみる。山しか見えない。ここにも別のアベックが楽しそうにしていたので、居づらくなって光明城の方へ向かう。途中三方原の合戦の時に逃げた家康が疲れて座ったと言われる石があった。余談だが以前別の山で家康が隠れた岩という物を見たことがある。青崩れ峠の方には信玄腰掛け岩とか言うのもあった。光明城跡には徳川の旗頭、本多作次郎、石川善内、澁谷三右門、菅沼源太郎、山本庄介、天正3年6月10日戦死と書かれている看板があった。二俣城攻防戦のときに戦死した5人の塚である。このまま下れば駐車場に続く道路があるだろうと思って降りたのが、駐車場がない。実は山の頂上にいたので駐車場とは反対の道に降りてしまったらしい。延々と歩く。運動不足の上、のども渇いてきて、このまま死んでしまうのかなぁと思ったとき、延命水という湧水があった。まさに延命である。あぁ、なんて自然は素晴らしいのだろう。延命水から最初のカーブを曲がるとわが愛車が見えてほっとする。帰りにコメダでコーヒーとトーストを食べた。810円もした。本日一番の驚きである。

| 山中探偵団 | 11:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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